『織田哲郎 & 9th IMAGE』に参加
1979年8月25日に開催されたヤマハ主催の『East West '79』本選大会で、松井恒二(松井恒松)は寺西修(氷室京介)、菊地篤(諸星アツシ)らと組んだアマチュアバンド『デスペナルティ』で入賞し、音楽事務所『ビーイング』と契約。
上京した『デスペナルティ』は事務所の方針で解散となり、メンバーのうち寺西と松井は『寺西修 & VOICE』にボーカル、ベースとして参加。
【『氷室京介』幻のデビュー曲】 『CHU-LU-LU』 寺西修 & VOICE
その後、寺西は織田哲郎と入れ替わるようにして『スピニッヂ・パワー』のボーカルに『寺西修一』名義で参加、松井は『織田哲郎 & 9th IMAGE』のベースとして活動することになります。
『スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-』でデビュー
1980年9月5日、『織田哲郎 & 9th IMAGE』はデビューシングル『スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-』をリリース。
スポーツ用品メーカー『MIZUNO』のCMとして起用。
※この曲は『TUBE』の『セイリング・ラヴ』の原曲。
作詞は織田と長戸秀介。
長戸はビーイング創業者である長戸大幸の実弟で、1982年に音楽制作会社『レイズイン』を設立。
なお、BOØWYの曲の『 OUT!! 』(原題『REY'S OUT』 作詞作曲:氷室京介)は長戸秀介を皮肉った歌。
同年9月21日には1stアルバム『DAY & NIGHT』、翌1981年の3月5日には2ndシングル『色あせた街』をリリースするが、ほどなくして『織田哲郎 & 9th IMAGE』は活動期間わずか1年で解散。
一方、寺西は『スピニッヂ・パワー』解散後、新たなバンド結成に向けて活動。
その頃同じ事務所にいた氷室京介君がバンド(のちのBOØWY)を立ち上げようとしていたんで、もともと氷室君と一緒に上京してきた松井常松には一緒にやったら、と。
出典:織田哲郎ロングインタビュー第9回|織田哲郎Project2007
寺西は同級生で『デスペナルティ』のメンバーだった菊地を、布袋寅泰は高校時代に組んでいたバンド『ジギー・リギー』のメンバーだった深沢和明をバンドに誘います。
『織田哲郎 & 9th IMAGE』が解散になったばかりの松井にも声をかけましたが、松井は返事を保留。
「ちょっと考えさせてくれ」みたいなことを言ったと思う。
すぐには気持ちの整理ができなかったから。出典:『記憶』 松井常松
しばらくして、松井は寺西にバンド参加の旨を伝えます。
当初、深沢がベースを担当していましたが、松井がベースで加入したためサックスへ転向、メンバー5人による『暴威』が結成されました。