『暴威』加入前
1970年代初頭、木村マモルは京都でブルースバンド『合資会社』のドラマーとして活動。
『合資会社』解散後、『スピニッヂ・パワー』のリーダー野村哲也に誘われ『スピニッヂ・パワー』(第3期)にドラマーとして加入。
ボーカルは氷室京介(『寺西修一』名義)。
1980年9月5日にリリースした『HOT SUMMER RAIN』をひっさげ、TBS系『11時に歌いましょう』、日本テレビ系『NTV紅白歌のベストテン』に出演するなど露出を増やしてヒットを仕掛けるも不発。
その後、メンバーと事務所(ビーイング)間で協議した結果『スピニッヂ・パワー』は解散。
サポートドラマーとして『暴威』に加入
氷室は事務所に新しくバンドを結成することを申し出、許可を得た上で、同郷の布袋寅泰ら5人で暴威を結成。
木村は氷室からドラマーとして暴威への加入要請を受けるも、ゆくゆくはプロデュースワークをしたいので「正式なドラマーが決まるまで」という約束で、サポートドラマーとして暴威に加入、数回のライブ、1stアルバム『MORAL』のレコーディングでドラムを叩きます。
しかし、レコーディングの大半が終了した頃、木村は当初の約束通り暴威からの脱退を申し出て、1981年5月11日のデビューライブを最後に高橋まことと入れ替わるようにして脱退。
【『暴威』デビューライブ】1981年05月11日 『暴威LOFT FIRST LIVE!!』 新宿ロフト 暴威
そのため、アルバム『MORAL』(1982年3月21日リリース)のうち大半の曲のドラムは木村が叩いており、『MASS AGE』 と『MORAL』の2曲のみ高橋が叩いた音源に差し替えられています。
プロデューサーとして活動
1983年、前年に深沢和明、諸星アツシが脱退して4人編成となったBOØWYはセルフプロデュースのためビーイングを離脱、プライベートオフィス『Ø-con' nection』を設立。
木村はBOØWYの2ndアルバム『INSTANT LOVE』(1983年9月25日リリース)をプロデュース。
その後、キングレコードのディレクターとしてROGUEのデビューアルバム『ROGUE』(1985年リリース)、遠藤ミチロウの以下のアルバムを『木村守』名義でプロデュース、そして、それぞれ以下の別名でドラムスとして参加。
『破産』にはコーラスで錦城薫という女性が参加しましたが、後年、木村は錦城のデビューシングル『赤い華』(1988年8月21日リリース)の編曲を『木村守』名義で手掛けます。
作詞 | 作曲 | 編曲 |
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錦城薫 | 錦城薫 | 木村守・山際築 |
この曲は、テレビ朝日系木曜ドラマ『避暑地の猫』のエンディングテーマとして使用されました。
2ndシングル『CRONUS・CRONUS』(1989年リリース)では、『木村マモル』名義で編曲を手掛けています。
作詞 | 作曲 | 編曲 |
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錦城薫 | 錦城薫 | 木村マモル |
ソロ活動
2012年、木村は『SEIHITSU』名義で音楽配信サイトにて楽曲を配信。
出典:http://gmsc.giga.co.jp/jsp/html.jsp?tmp=label/00073/artist/ar613341&stcd=08
同時にFacebookやTwitterのアカウントを開設するも、記事やつぶやきの投稿はないようです。
YouTubeで『seihitsuchannel』というチャンネルを開設し、『Venture Man』という楽曲が投稿されていましたが、現在は削除されています。
その後、2023年現在までの消息は不明。