BOØWYの記録

BOØWYの記録

【1982年 BOØWY】「最初の頃チョロっとデフ・スクールの曲を1・2曲演ってたけど」

BOØWY

1982年発行の某誌より

3月26日 渋谷「エピキュラス」にて

- バンドを結成したのはいつ頃?

氷室 1年位前・・・正式にこのメンバーになったのは、昨年の6月だから半年ちょっとかな。結成した時点では、ドラムをサポートしてもらって決ってなかったの。

- 結成してすぐにライヴ・ハウスなどで活動を始めたわけ。

氷室 そうですね。結成して3ヶ月ぐらいで。最初の頃チョロっとデフ・スクールの曲を1・2曲演ってたけど、あとはオリジナルで・・・。

- その頃メンバーはどういう仕事で食べてたの。

氷室 ヒモだったっりとかね・・・。マァその辺は色々と。

- レコーディングした時期と発売した時期ってのが、1年位間があいてるでしょ。

氷室 結成して演ろうという事になってすぐだからね。バンドの質自体が、すごく短期間の間に変ってゆくからね。だから1年間オレなんかサイドじゃなく遅れてたわけだからね。オレなんかとしては、やりたいようにやらしてくれる会社が出てくればいつでも出すけど・・・後は事務所の方に任しますみたいな感じだった。

- それは精神的なもので・・・。

氷室 そうだね。どうしてもプロだから営業的な面で折れなきゃならない部分が出て来るでしょ。そういうのがガマンできない奴が集まってやりたいように演ろうぜって始めたバンドだから、その辺だけはハッキリしとこうって事で演ってるから、1年遅れようが、2年遅れようが好きにやらしてくれる所が見つかるまで出さないみたいな部分で演って来たわけですよ。だから、音的には、すぐにでも2枚目作れる状態にあるし、作れば作ったで1枚目とは違ったものが出来ると思うんですよね。あの時点では、あれがベストだと思うし。

- 詩を読んでみるとラヴ・ソングが多いみたいね。愛だ、恋だという感じじゃなくてね。

氷室 非常にそう言われるとありがたいんですよ。誤解されると困るけど、屈折してるラヴ・ソングって好きなんですよね。

- 英語のフレーズを詩の中に入れてるでしょ。あれは意識的なもの。

布袋 ポップな感じを出す為に無意識に使っちゃうんですよ。

深沢 言葉の持っている質でね、そういうので日本語が合えば日本語を使うし・・・そのあたりは、もう感性の問題だから。

- バンドとしての意識ってのはどこにポイントをおいてるの。

氷室 歌詩に関して言えば、すごくノリを大事にしたいわけ。だから歌詩がついたがゆえにメロディー・ラインのノリとか、良さが半減しちゃったらいやだし、そういう部分でけっこうメロディー指向みたいなものがメンバー全員の中にあるからね。その辺で一番時間がかかるのが詩だと思いますけどね。

- 詩に意味を持たせるってのはないのかな。

氷室 だから観てる奴らに、ボク達はこうですってメッセージを送るのはいいんだけど、それ以上のものは望んでないわけ。オレ達はこう思うけど、オマエらこうやれよみたいなね・・・。そんなのとんでもない話で・・・。

深沢 形にして出したら相手がどう受けとろうが関係ない。

 

(中略)

 

- ライヴでの客の反応って気になる方。

氷室 自分が吐きだす面に関しては、人がどう取ってくれてもかまわないみたいな事は言ってるんだけど、人がオレに示すのはけっこうちゃんとした姿勢で示してほしいわけ。その辺が矛盾で子供なんだけどさ。この間(3月24日 新宿ロフト)みたいなのは、全部がしびれてバイヴレーションを感じてるわけじゃないじゃん。あるほんとの少数なわけで、それがもっと、もっと増えてこなきゃだめだと思うわけ。オレ達が存在感なんかいいと言ってて、ほんとに存在感なかったらみじめじゃん。そいつらはBOOWYが好きで来てる筈なんだから、そういう奴らにオレ達のバイヴレーションをわかってもらうのが第一の作業ですよね。とりあえずは・・・。オレなんかなりの楽しみ方ってあるし、来た以上は楽しんでもらわないと、帰ってくれた方がいいしね。

 

(原文ママ)