『キティ』結成
1977年1月29日、新島学園中等部3年の布袋寅泰は前橋市の体育館で開催された『エアロスミス』のコンサートを鑑賞。
※このコンサートには当時高校1年で布袋と知り合う前の松井恒松も来ていた事が後年判明しています。
コンサートが終わった後、当時『新島学園高等部』に在籍し、後にクラブ界の大御所DJと言われる小林径に声をかけられ、意気投合してバンド『キティ』を結成(小林はボーカル、布袋はギター)。
同年4月、『新島学園高等部』に入学した布袋は引き続き『キティ』で活動。
学園祭、公民館や地元施設などでコンサートを開きます。
あんまり言いたくないんですけど、布袋寅泰ってヤツと一緒にバンドをやってて(笑)
彼はボクよりちょっと下なんですけど、高校が一緒で。
オレの方が先輩だったんで、割といろいろ教え・・・たっていうほどじゃないんですけど、ニューウェイヴの走りみたいな変なヤツとか聴かせたりしてて。
そのバンドはロキシー・ミュージックみたいなのやってたんですけど。
当時はやっぱりディープ・パープルとかツェッペリンみたいなのをやるのがマトモで。
ジェフ・ベックとかやってればちょっとすごい、って感じだったんで。
割とボクらはヒネてましたよね。
『ジギー・リギー』結成
1978年4月、『キティ』は小林ら中心メンバーの卒業により自然消滅したため、布袋はクラスメイトと『ジギー・リギー』を結成。
メンバーは後にBOØWYでサックスを担当する深沢和明、群馬テレビ社長の中川伸一郎(アルトサックス)など、10人編成の大所帯。
ちなみに、深沢は『ジギー・リギー』結成時にサックスを所有しておらず、質屋巡りをしてサックスを購入した、というエピソードも。
高崎市のヤマハ音楽教室に併設されたホールでアマチュアバンドが集まってライブをやっており、『ジギー・リギー』は、後にBOØWYのマネージャーとなる土屋浩がボーカルを務める『ウィークリー』と人気をニ分していたそうです。
その後、寺西修(氷室京介)、松井恒二(松井恒松)、菊地篤(諸星アツシ)らで結成したバンド『デスペナルティ』も参加し、同様に人気を得ることに。
【ファンクラブ入ってください】1979年XX月XX日 前橋市某所 デスペナルティ
ー布袋さんの印象はどうでした?
異質でしたね。
あの身長で、茶髪のロン毛。
眉毛もなかったし。
ジギーリギーはグラムロックをやっていたわけなんだけど、当時の僕にはわからない世界だった。
「なんだろ、こいつら気持ち悪いな」みたいなのが第一印象だった。出典:『記憶』 松井常松
布袋は『ウィークリー』の土屋と仲良くなり、翌年、新たなバンド『BLUE FILM』を結成することになります。