
反発し合うふたつの個性が、あけすけに語るBOØWY―その反目と約束の日々
おそらく、(そして、ようやく)日本のロック・シーンもロック・バンドを擁してきたと思う。当然のこと、昔からロック・バンドは日本にも星の数ほどあったが、最終的に残るものは"〇〇△△(中心人物)・アンド・ザ・××□□(バック)"であったり、バンドという形態はとっていてもポピュラリティを獲得できないまま沈没してしまったケースが多かった。
ロック・バンドがはっきりと台頭したその影には、"バンドの質=人間関係がもたらすもの"という認識とそれを受け止める環境は、たぶん、徐々に変わって来たことがあると思う。洋楽に高い水準で類似した翻訳モノを作って有無を言わせぬようにする視点から、もっとズレていても肌にフィットするものを求める視点に、である。高度に類似した翻訳モノを作ろうとする時、コンポーザー以外はほぼ完全なマテリアルであることが望ましい。何とか奏法のできるギターリスト、音的に誰々に似ているドラマー、などといった具合にだ。
だがしかし、これはバンドではない。命令一下で作動を開始する無表情なマシーンと同じで、"せめぎ合い"もなければ"作り・作られる関係"もないからだ。
BOØWYはまず結成された。それはやたらテクニックのあるヤツの集団でもなければ、長い間のつき合いによって性格的にフィットする者が固い結束の下に集ったというものでもなかった。「カッチョいいことをやろう」としてとりあえずできたのだった。
今回試みたインタヴューは、氷室京介、布袋寅泰という"個人"がバンドという"体系"に入り、そこで単なるぶつかり合いではなく、いい意味での緊張関係を生み出しBOØWYを転がしていくまでの、いわば変遷である。
はじめに
「アマチュア・バンドなんて要するに、十把一からげでしょ。オレの育った高崎は特に田舎だったからアマチュア・バンドといえば、ほとんどがツェッペリンかパープルのコピーだった。オレはそんなの好きじゃなくて。何ていうかコピーするきっかけがつかめなかった。バンド演ろうと思ったのは、中学3年の時にキャロルの解散ライブをテレビで観て。すごく身近に感じられた。あ、日本にもこういうロックを演る人がいるんだなぁと思って」(氷室)
「洋楽でした。ある一瞬から。中2の時にT・REXを聴いて他の音楽とはぜんぜん違うなって思った。そこからボウイとかスパークス、10CCに行って。あとからビートルズを聴いたんだけど10CCの方がぜんぜん良かった。ギターをすぐ買ったけど練習しないで、鏡の前に立ってアクションばっかり考えてた(笑)」(布袋)
出会い
「高崎のヘンなロック・バンドが幾つかタマってるサークルみたいのがあって、その中に布袋がいた。髪の毛長くて化粧してて、それでT・REXを演ってた。インパクトはあったよ。みんなパープル、ツェッペリンの御時勢だったから。オレは自分のバンドでロックンロール演ってて、それがイースト・ウエストで勝ち抜いちゃってさ、スカウトが来た。で、東京に来たんだけど、プロのバンドって自分の思ってたものとはぜんぜん違うものだった。それですごいイヤ気がさして。それとはちがう部分で、自分たちがほんとにやりたいことをさ、策略ぬきでレコード作って、みんなにアプローチをかけられるバンドを作りたかった。誰恥ずることなく表現できるバンドをね。で、とりあえずギターの知り合いっていったら古臭いタイプの人ばっかりだった。その時『布袋ってヤツがいたなぁ』とか思い出して。東京に来てるって話を聞いて電話した。ベースの松井は、その頃、織田哲郎アンド・ザ・9TH・WAVEに居た。オレとバラバラにされちゃってたから。松井の所にも電話して、そこから動き出した」(氷室)
「オレは高校を3年の3学期で中退になっちゃった。髪の毛染めてたし、まゆ毛もなかったから(笑)。それで悪いコトするとかいうんでもなくて、仲のいいグループもいなかった。学校行っても一言もしゃべんないときがあったし。でも学校とか先生に反発してたんじゃない。目標みたいなもんが無くて。だいたい探す時間もないのに目標見つけろたって、そりゃできないよね。で、学校やめてすぐ、東京に出て来た。一人で。有楽町のコーヒー屋で仕事して。オレ、ウチが結構裕福だったから、いきなりシビアになった。だって大根一本が買えないんだもん。最初目白に居たんだけど、福生に引っ越して。その頃ヒムロックから連絡があった。彼の高崎時代の印象は"極道"。でなけりゃ"街の帝王"。人から見れば『氷室があそこに立ってるから遠回りしようぜ』って存在(笑)。オレは単純にカッチョ悪いヤツだと思ってた。向こうはオレのこと、ヨレヨレのお坊っちゃまだと思ってたんじゃない?ヒムロック(氷室の愛称)のバンドも、モロ矢沢永吉でさ。歌はその時からえらいうまかったけど、オレのやりたいスタイルとは違ってた。だから最初電話があった時、殴られると思った。でも一発殴られたら終るだろうと思って会いに行ったの。そしたら六本木のアマンドの前に化粧して立ってた。『あ、この人、夜の仕事についたんだな』って思ったら、いきなり『カッチョいいバンド作ろうぜ』って。オレ、ギターの弾き方とかほとんど忘れちゃってたのにさ(笑)」(布袋)
「MORAL」
「自分たちの存在そのものがそれまでの日本のロックにはないもんだと思ってた。だけど回りのスタッフとかからは『わかりにくいからもっとわかりやすいイメージにしてくれよ』って言われて。具体的にバンドのテクニックは今ほどないから、人を説得するのにいろいろな問題があった。あのアルバムの内容に関しては、レコード会社や事務所との関係から生まれた部分もあるけど、全部を否定するような作品じゃない。あの中の"ゲリラ"じゃサラリーマン批判、"ウォッチ・ユア・ボーイ"では時事社会問題にアプローチしてるけど、それは自然なものだったよ。どっちかっていうとシャレのニュアンスの方が強かったけど。ロック・バンドとして、こういうことを歌わなけりゃいけないみたいなことはまったくなかった。たぶん世間一般の人が持ってるロック・バンドの概念とオレたちは、てんでかけ離れた所にいると思う。普通ロック・バンドっていうと、すごいメッセンジャラスでさ、っていうのがあるじゃない?オレたちは別にそうは思わない。何か、危ないことを何でも粋に、楽勝にこなしちゃうのがオレの思うロック・バンドだからね。1枚目が結果としてアナーキーとARBの中間ぐらいのバンドとして受け取められた状況については、そんなもんかな、そうなんだなって思った。別に誰が悪いわけじゃない。もどかしさは当然あったけど、そのもどかしさの中で自分をまげて、変に屈折していくのは嫌だった。自分で納得できる方向に屈折していくんだったらいいけどさ。だから別に反省はしなかった」(氷室)
「最初のアルバムはチームワークも音楽性も絞らなかった。ゲップを我慢しないみたいな(笑)。どう聴かせるとかまったく考えなかった。だから、ほんと『バンド作りましたよ』って感じで出したアルバム。いちおうオレが音の組み立てとか考えた。オレが一番音楽を聴いてたし、ヒムロックはもっと精神論とかバンドの運営とかそっちの方に興味を持ってたから。だけどオレが一番ヘタだった。(笑)1枚目はできるだけまちがえないように弾いただけ。プロデューサーの渡辺モリオさんとか小野誠元さんと接触したけど、プロと出会った刺激みたいなのはあんまり感じなかったなあ。ヒムロックが一番生き生きと怒ってたな。前の2つのバンドがポシャったから。オレはこのバンドをこうしようとか考えてなかったし。で1枚目出したあとしばらくしてライブを演った。その時はなんかバンド全体が怒っててさ。ワン・ステージが30分から40分ぐらいで、えらいスピード感があった。オレは普段トロトロしてるんだけど、ヒムロックに引っぱられてアグレッシブになったね。その時ギター弾く快感が芽ばえた。でもバンドの中でヒムロックが一番嫌いだったよ。性格にしても『リーダー格になりたい』って所だけが同じであとはほとんど違ったし。楽屋やステージで目も合わせない時もあった。だから、曲を作る時もぜんぜん和気合い合いじゃない。口はきくけど反発しているみたいな(笑)。それでもバンドやめなかったのは、なんか『となりに座るのもヤだな加減を味わいたい』っていうかさ。それだけ両極端の人間に出会ったのも初めてだったし。いつもオレの価値観にじゃま者が入るんだもん、ガン細胞みたいに。で、彼がオレに歩み寄ろうとするとオレは逃げるし、オレが歩み寄ろうとすると向こうが逃げた。(笑)まあ、いい意味でクールだったのかも知れないけど、イライラ・ムカムカするというより、不思議だなあって存在」(布袋)
「『MORAL』のあと、10回ぐらいライブをこなして初めてバンドで気持ちいい瞬間が来た。『布袋もやるじゃん』とか思ってきたし。その頃の客は、オレたちのシニカルさ、ワン・ポイントひねってある所は、わかってなかったと思う。とりあえずムーブメントに乗っかって、パンクの残党に引きずられて来た人たちが多かった。いつかはわかってもらえるだろうっていう自信もこれといってオレたちにはなかったし。その意味じゃ結構マスターベーションしてたね。わかんないヤツには口で説明したってわかんないし、逆にあんまりわかってもらいすぎるのもヤだなって思ってたから。あと業界の変なシステムもわかんなかった」(氷室)
「INSTANT LOVE」
「2枚目が出る時点で、布袋とのコラボレーションについてかなり話をした。やりたいことがうまく表現できてないなって。あと、1枚ああいうアルバムを出しちゃったから、またあの路線でやらなきゃダメみたいに回りから言われてるけど、それはぜったいヤだなって。その頃はウルトラ・ヴォックスが好きだったからあんな感じを狙ってた。その旨を布袋に話したら、あいつも結構、近い感じでさ。普段はほとんど口きかないんだけど、それぞれ嗅覚で選びとったものとか考えが、だんだん近寄って来た。社会にどう受け入れられてるかっていうのとは別の部分で、次は、バンドでこういう音を追求するべきだねって所は固まって来た」(氷室)
「それまではレコード芸術を作る手法がほとんどわからなかったから、2枚目でようやく手探りを始めたって感じだね。それにライブを演ってバンドはきたえられた。オレ自身も。で、だんだん自分に対して自信が出て来た。何となく音楽作れるんじゃないかっていう。プロデューサーも研究してさ、スティーブ・リリーホワイトとか。だから、2枚目じゃアーチスト寄りというよりプロデューサー寄りだよね。メンバーが2人ぬけたっていうのも痛手ではなかったけど、多少影響してると思う。結果、サウンドはかなり変化した。でも今から見てみればまだシロウト技だね」(布袋)
「だから『INSTANT LOVE』は『MORAL』の反動でも何でもなく自然な推移なんだ。あのアルバムでオレは"昭和35年生まれの赤木圭一郎"的扱いを受けたけど、あれははっきり言ってすげえガチョーンでした。その辺から回りについても自分たちでちゃんとやるようになって来た。ポスターとかまで。歌詞カードでも外国の新聞みたいにしようって言ったのはメンバーなの。そっから先を担当ディレクターにまかせたらああいう切り口で出て来た。なんか違うなあって。だからその頃はいつもどきどきして不安だらけ。自分を取り巻いているスタッフがすごい自分たちのことを誤解しているわけだから、まかせらんない。かたや音楽作って、他にポスター・デザインから何まで全部自分たちでやらなきゃいけないっていうのは負担ではあった。こんなはずじゃない。たとえばもっと自分たちよりビジュアル・センス的に長けた人がちゃんといてまかせられる。いつかはそうなりたいと思って。ピントはずれなことをゴチャゴチャ言われた。すごかったのはさ、スタッフが2枚目の制作の時『BOØWYはラスト・パンク・ヒーローなんだからもっとパンクっぽくしなきゃダメだよ』って言うわけ。完全にガチョーンだよね。それっていうのは、オレらの音楽の趣味がどんどん広がって、あえて言うなら向上しててさ、もっといろんな未知のものを、いい部分を知って自分の音楽に対するボキャブラリーが増えているのに、それを否定された。イメージを固めるために、それってもう完璧にピントがずれているよね。その人に演出されて売り出してるんじゃないんだから頼むよって」(氷室)
「2枚目の時は、ここでやめられるかって気持ちになってた。回りの状況がドンヅマリだったし、ヒムロックが強かったね。オレはどんどん音楽に傾いていった。もっといろんな人に聞いてもらいたいのに、そこにたずさわってる人に理解がなくて。オレたちがレコード屋に行って売ろうかと思った。セカンドのリアクションに関しては、客がいなくなるんじゃないかとも思った。だいたいオレらがいちおう乗っかってた日本のパンク・シーンなんて、無理矢理のものだからさ。オレらがパンク・バンドだって言われてたのも、単純に"ビートが速い"とかその程度のもんだから、たとえばライブ。ハウスに集まる客は、ホンモノ志向だみたいな捉え方があるけど、それは違うよね。逆にもっとファッション志向だよね。東京ロッカーズぐらいから生まれたっていう、それっぽいヤツがクラブ感覚で来てさ。そういう意味じゃ正統に聴いてもらってないなと思った。だから1回戦争してもいいなって。でも結局昔のファンが、セカンドを認めてくれた」(布袋)
「キミが言うように、"ロンドン・ゲーム"なんて曲は、日本のニュー・ウェイブ・バンドの基盤までも疑った曲かもしれない。だからやっぱりプロ意識とかがそんなになかったと思う。たとえば自分たちが生活してる背景があって、その背景をうまく利用しながら自分のステイタスを築いていくっていうタイプじゃないんだよ、オレらは。いろんなことにワケもなく悩んじゃう子どもと同じレベルだもん。当時は。強いて言えば、音楽の一瞬が好きだった」(氷室)
「2枚目出した時点で回りに煮詰まりを感じて、しばらく事務所やレコード会社から離れてました。その長いブランクの間は、ひたすらライブに燃えてた。その時もヒムロックとの反目はあった。彼のとなりでギター弾いてて何とも思わなかったし。とりあえず自分が人生の主人公だからいろんなことを思うじゃん。だけどそのうちさ、なんかとなりにいて歌ってるヒムロックがだんだんカッコ良く見えて来た。彼のスタイルがね。ボーカリスト/氷室京介がオレの価値観の中でもカッコイイ存在に変ってきた。妙に緊張感が出て、2人で共有する空気を感じるようになった。"1+1=2"じゃないみたいな。それってスゴイことだと思う」(布袋)
「BOØWY」~「JUST・A・HERO」そして「BEAT・EMOTION」
「『BOØWY』は理想形に近いアルバム。だからあえてバンド名をタイトルにしたんだしね。自分の中ではっきり変った点は『好きな音楽を自分にあてはめて演るのは必ずしもいいとは言えない』って思うようになった。ベルリンに行こうって提案したのは、サウンド・プロデューサーの佐久間正英さんで、オレもヒムロックもいちおう憧れてたから行った。だけど頭に描いてたのとすごく近かった。あのアルバムで自分たちがガラっと変ったとは思わないな。リスナーにしても、オレらのポップさ加減にはもう慣れてたと思う。よく『ポップになるより、ポップになるのを我慢する方がたいへんだ』とか言うけど、それって逆だと思う。オレたちの音楽ってポップにしようと思ってないし、初めからポップだから。それはちょっとひねくれたB級ポップっていう部分も含めて。そういうふうにポップを抑圧していくのは良くないよね。もちろんオレらにもポップの基準はありますよ。たとえばある種のパターンでコードが変ってって、そこにハマリのメロディが乗ったらカッチョ悪いとかさ。単純に売れる売れないじゃなくて、そこに何らかの美意識があればかまわないと思う。だから、オレたちの場合はポップを我慢するのは美意識じゃない。逆にポップにできないから我慢するんじゃないかって思いますね」(布袋)
「確かに『BOØWY』でバンドは充実したけど、その背景には『責任とか信頼関係がある、つまりいい意味でまかせてくれるスタッフの中で作った』っていうのが、すごく大きくある。オレたちの表現力、自分を伝える術もできて、ようやくバンドが転がり出した。あとは曲や音をとりあえずしっかり作っていけばいいと思った。だからそこから先は、アルバムでも短いインターバルでボンボン出してるし、『JUST・A・HERO』で、オレは歌詞を追求して、布袋はサウンド・プロデューサーになった。そして、受け入れられたんで、えらいビックリした」(氷室)
「『JUST・A・HERO』は、ちょっとアーチスティックな夢物語。そういうの、好きなんだ、オレ。(笑)ヒムロックの詞は、さしずめ"夢の図書館"っていうか。知らない言葉まで書けちゃうみたいな。その分、サウンド面ではアイデアを小出しにした。阿呍の呼吸で。『JUST~』を作る前に泉谷さんと久美ちゃん(山下久美子)と吉川クンの作品に参加して。それで結構、自分が浮き彫りになった。ギター・プレイも含めたオレの時代感みたいなものが。3人とも自分のポジションを築いた人だから、その辺から。で『BEAT・EMOTION』じゃ、大雑把なBOØWYを出したかった。コミュニケーションも何もしないBOØWYを。そういう意味じゃ、吉川や久美ちゃんと演る時の方が、念入りな共同作業っぽい。BOØWYはそうじゃない」(布袋)
「『BEAT・EMOTION』は、肌を見せる愛し方って言うかさ。(笑)1発目のデートでギンギンにオシャレして行くっていうんじゃないみたいな。屈折した部分をポップに聴かせるのは、たぶん性格だと思う。ねじ曲っててもサービス精神だけは旺盛っていう。ただ、『ハイ、これをあげるから喜んで下さいね』とは言わない。自分の中ではいつも葛藤がある。自分がこういうふうにアピールしたくても、人が違うように見ることはあるんだという音楽の持ってる宿命はわかってる。そこで勝手に煮詰まって、つぶれて行くヤツはつぶれて行けばいい。オレはそんなに弱くない。だけど自分を強力に演出するほど強くもない」(氷室)
BOØWYというバンド
「前に、ギターリストとボーカリストは男と女だって言ったけど、それは男が女をキレイにするとかそれは簡単なもんじゃない。カメラマンがその女をキレイに撮るとかさ。だから、ギターリストがボーカリストをキレイに見せる演じ方はすぐできると思う。だけど、それじゃ自分は変らないでしょ。パッと見てキレイに観せるんじゃなくて、たとえば、ボーカリストのとなりでギター弾いてると知らず知らずのうちにギターリストは包み込むような存在になってる、またその逆もあり、みたいなさ。実際ヒムロックによっていつの間にかって感じあはある。オレの役目はヒムロックをひき立てることじゃないし、ヒムロックもオレのギターを引き立てるために歌ってるわけじゃない。バンドのメンバー全員が主人公だね。それってプロフェッショナルじゃないかもしれないけど、オレはたとえばプリンスとかフランク・シナトラ、デビッド・ボウイみたいなタイプじゃないからさ。ヒムロックはオレと一緒にバンドやらなかったら、たぶんオレの一番の「前に、ギターリストとボーカリストは男と女だって言ったけど、それは男が女をキレイにするとかそれは簡単なもんじゃない。カメラマンがその女をキレイに撮るとかさ。だから、ギターリストがボーカリストをキレイに見せる演じ方はすぐできると思う。だけど、それじゃ自分は変らないでしょ。パッと見てキレイに観せるんじゃなくて、たとえば、ボーカリストのとなりでギター弾いてると知らず知らずのうちにギターリストは包み込むような存在になってる、またその逆もあり、みたいなさ。実際ヒムロックによっていつの間にかって感じあはある。オレの役目はヒムロックをひき立てることじゃないし、ヒムロックもオレのギターを引き立てるために歌ってるわけじゃない。バンドのメンバー全員が主人公だね。それってプロフェッショナルじゃないかもしれないけど、オレはたとえばプリンスとかフランク・シナトラ、デビッド・ボウイみたいなタイプじゃないからさ。ヒムロックはオレと一緒にバンドやらなかったら、たぶんオレの一番キライなタイプのボーカリストとして、"一角のもの"になってたと思う」(布袋)
「ある意味でバンドって、個々のキャラクターをうまい具合に調合しなければダメだと思う。BOØWYは一番いい形で調合されてると思う。布袋がソロになったとしたら、その時は布袋寅泰という人間が100パーセントでてくるわけだから、全然違うだろうし。今はBOØWYの布袋としての光り方だから。で、オレにとってはその調合し具合がさ、まだまだ刺激的だよね。BOØWYってさ、そういうバンドなんだよ」(氷室)
(後略)
※原文ママ
ROCKIN'ON JAPAN Vol.2 1987年1月号より